それぞれの時代精神を記憶に宿す者

 

記憶の仕組みがだいぶわかってきたところに

 

数字の仕組みや

 

古代の人がそこから何をつかんでいたか

 

ずいぶん見えてきました。

 

 

 

けどまだだれにも言えないや。

 

ほかのことだったら「自説」で通せばそれでいいところもあったけど

 

時と数字と記憶に関してはそれじゃダメ。

 

それに、記憶が明らかになるにつれ、

 

広大さを感じるんだ。とてつもないサイズの広大さをと強大さを。

 

 

 

ヒトとヒトには意味のある出会いもあるということ。

 

裏を返せば、すべての出会いに意味をみつけなくてもいいということ。

 

自分にとって重要でない登場人物は

 

まるでプロジェクションマッピングみたいな容貌をしていて、

 

それに氣づくと、その人が重要人物でないことがわかるだけでなく

 

だれを演じているかもわかる。配役がわかると言ったらいいのかな。

 

そういう人たちを通じて、自分の配役の一端を知る。

 

 

 

全部はわからないんだよね。

 

わからなくてもいいと思う。

 

 

 

 

わたしだったら、占い師というテイではいるけれども

 

やってることといったら、なんだろうね。占いなんだけれども。

 

本質的には違うのかもしれない。

 

自分が時代精神を背負いやすいことを自覚して以来

 

他にやることがあるんだろうな、とは思ってる。

 

とはいえ手段はこのままでも良さそう。

 

世間的に信頼されていない職業であることはある意味好都合だ。

 

 

 

『力をつけなさい』

 

4年半前にある人に言われて(ヒトです)

 

本当にこれだと。年々強く感じるようになっています。

 

今も。

 

力をつけなければできないことが山ほどある。

 

そしてそれは、生きているうちにやることだ。

 

そう思うから、やる。

 

 

 

他の人のことまでは知らない。

 

自分の命の仕組みがどんどんわかってきた。

 

 

今年の整理と来年の灯火

しばらくここには来ていませんでした

 

隠すべきことが少なくなったのかもしれない

 

だけど

 

再びここを訪れたということは

 

また 人には言えない情報整理が必要になってきたということ

 

かな?

 

 

 

 

どうでもいいことなのにひっかかってることって

 

ありませんか?

わたしにとってはエジプトがそれで・・・

 

どうしてもエジプトに関わる必要があるというわけじゃないので

 

本当にどうでもいいのだけれど

 

なぜこんなにも苦手なのかが不思議で

 

 

 

そのせいで一つの径を進むことができなくなったり

 

学習がはかどらなくなったりしたので

 

半ば意地のようなものも含んでの疑問だとは思います

 

悔しいじゃん?苦手なエジプトの壁を突破できなかったのだから

 

 

 

 

どうもその理由がわかったかもしれないんですよ

 

いや・・・わかってたと思います

 

そんなこったろうと思ったよ と 呟いたもの

 

 

 

 

腑に落ちたらその理由を忘れてしまったのさ

 

だから本当に記憶が合致したのだろうね

 

そして今生ではもう壁とならないから忘れた

 

いつか行ってみたいな エジプトに

 

 

 

 

それから

 

旅をする理由も

 

 

 

過去に旅したところが

 

日本も海外も含めて

 

そしてそのルートも含めて

 

全部つながりが見えてしまったとき

 

若干うすら寒かったよね

 

 

 

え?今生は何かの巡礼のためにあるんですか?と

 

そんなわけあるかい!って言いたいところだが

 

そんなわけあるかもしれないから口をつぐむ

 

 

 

 

2015年以降 ノーマークだった年はないのだけれど

 

でも今年はちょっと油断してたかな

 

振り返ってみれば大きく軌道修正していましたよ

 

 

 

来年は灯火がはっきりと輝いていて

 

迷う余地がない

 

 

 

秘密が明らかになりつつある今

 

やることは山積みだ

 

時間はなんで有限なんだろうな。。。

 

じゃなくて 有限だから時間があるのか

 

そうだ そういう世界の成り立ちもだいぶわかってきたよ

 

 

表でもそういう話ができるようになればいいのだけれど

 

なかなか ね

 

 

 

KS

 

 

 

 

青 紫

 

私を取り巻く色は青

 

群青や、ロイヤルブルー、ターコイズブルー、木にペインティングしたような青、、

さまざまな青が私を包んでいた。

 

それが今日、色を変えた。

紫色になったんだよ。

 

ふわ~・・・・っとやさしく

しかしスピーディーに

紫に染まっていった

 

 

 

最近青が濃くなってきてる、らしかったので

青が濃くなるとその先は紫なのかもしれないし

 

その方が今の私にはマッチしているのかもしれないし

 

ただ髪の色に合わせてくれたのかも(だれが)

 

 

 

なんだか幸せな氣持ちになった

 

青とともに紫も大事にしていこう

 

 

麻と26

 

以前から私を知っている方の中には

私にとって2と6が特別な数だ、と言ったのを覚えていらっしゃる方も

もしかしたらいるかもしれません。

 

私というか、私たちというか

 

この2と6という数字は非常に単純にセレクトされた数で

特別だと認識した当時はややこしい背景などなかったし、

当然のことだと思っていました。

 

 

 

それが、どうやらそんな単純な話ではなかったようで。

 

思ったよりもずっと複雑で深い背景があっての2と6かもしれない、

と思わされる欠片が次々と掘り出されてきました。

 

時に深い洞察によって、

時に不意打ちで。

 

 

 

二つの数字が意味するところとは。

組み合わせた26という数字の意味するところとは。

 

あまりにもあからさますぎて氣づかなかったことまでもが

つながりはじめています。

 

 

 

 

一方、「麻」について。

 

小さな頃から麻が好きだった私。

けれど、自分が麻が好きだということをなかなか言えなかった。

麻の服を着たい、なんて言ったらどう思われるか・・・

 

なんだその心配。

 

大人になっても麻が好きだと人には言えなかった。

その理由はよくわからない。

 

ここ数年、やっと言えるようになった。

友人が「シルクが好き」と言っているのをきいて

「私は麻が好きなんだ」とやっと言えた。嬉しかった。

 

私もシルク好きだけど、肌に触れる素材として好きなだけで、

麻を好きというのとはちょっと違う。

 

麻が好きと言えなかった私は代わりに綿が好き言ってた。

綿も素材として好きだけどね、麻とは違うんだ。

 

 

季節構わず麻の服を着るようになってからというもの、

麻への愛着が増したように思う。

つい最近では自分の髪を亜麻色にしてみた。(やり過ぎだ)

 

 

 

 

 

 

どういうわけか、26と麻はつながるような氣がする。

自分の根幹、根っこがつながってる地盤がそこにあるような氣がする。

 

あとは『23』という数字、これは2と6という個人的な数と違って

建築・増築していくための数字なのだと思うのだけれど、、、

というのも、22+1だからね。

 

 

そういえば春からの学びで「+1」の理解がまた一つ進みました。

 

これも以前から私を知っている人にしか通じない話で恐縮ですが

「+1」は様々な示唆を私に与えました。

5年前の8月、一滴の雫が落ちるように私の元に訪れた「+1」、

これが示すのは一つだけではなく、沢山あるのだけれど、

その中に私自身も入っていたようだと氣づくきっかけがありました。

 

私が「+1」であるように、と。

1を足すことによって流れが生まれる、風が吹く。

次へと促し誘う。それは私の手で行うことだとわかった。

 

その手段をたくさん持っている。無理なくできる。

なるほどね。そうやって場は整えられているのか。

相変わらず感心してしまうな。

 

 

 

2と6

26

 

23

 

+1

 

地球はなぜ自転しているのか?と問われた。

違う。自転が先にあって、回転によって地球は成ったのだと答えた。

 

そういうことだ。

先にあるべき創造を忘れてはいけない。

 

 

 

 KS

 

天地に開くこと

『覚醒』

 

という言葉があって、

それは何か遠くの世界で起こる非日常意識の開きのことかと思っていたけれど、

そうじゃなかった。

 

すべてのことは日常である。

 

自分は今、たしかに地球にいる。

 

 

 

 地の底から湧き上がる無尽蔵のエネルギーが身を貫く。

 

人間が天地の柱であることを肉体を以て体感する。

 

ここで、この身で、何をすべきか

そしてそのために与えられる力に終わりのないことを知る。

 

これが覚醒。

 

 

 

 

というのも、2015年に天蓋が開いていたからかもしれない。

上がつながっていたから下に開いたときにそうなった。

逆の人もあるだろう。

 

上は自力では開かなかった。

下はどうだったんだろう。。。自力だったのかどうかもわからない。

 

だけど、これで終わりじゃない。

目覚めたなどと思うなかれ。その先は永遠に続く。

 

ここが終着点だと思ったら人生おしまい。

 

 

 

 K

春分に共有

 

2021春分

 

K、もう一人の自分。

春分に届いた声なき声。

 

「共有している」

 

体験の共有。

そうだったのか。

 

うん。なかなか難しいな。

 

自分の望みがブレてしまう。

それでいいのか、それじゃダメなのか。

 

自分自身に向かうとは、実に難しい。

何も目標がなければできていたのに。

 

忘却できるならば・・・そうしてみたい。

 

 

 

褒められてご機嫌になって胸腺がひらいて眼もひらく

 

さーて。

 

平和な話するよ。

 

平和かどうかは書き手と読み手が決めるよ。

 

 

 

 

今日はいったい何の日だったのか、

非常にスッキリした気分で1日を終えました。

 

今日といっても、日付昨日だが。

 

依頼をたくさんもらっている&新しい仕事を始めようとしているから

余計なことに割く時間がなくてちょうどいいこの頃。

 

それにしたってなんでこんなに気持ちが晴れやかで

心身ともに元気に満ちているのか?って考えたら

 

前日に何人かの人にビジュアルをやたら褒められたのでした。

それでご機嫌になってるっていう単純な話だったwww

 

 

 

むちゃくちゃキレイ!、とか、美しい!!、とか

自分には無縁だと思っていることを言われると戸惑いつつ

素直に嬉しいものだよね。

 

そして、大人になってから、会う人にはたいてい

ビジュアルを褒められていることに気づく。

 

好きなことやって好きなように生きてるからかな。

 

面食いな私としては美人ていうのは

絶対的にも相対的にも美しい女優のことを言うのだけれど、

一般的にはそういうことじゃないらしい。

 

褒められると嬉しいならば

これからは普段からちゃんと化粧して生きてようかな。

 

 

 

平和な話だろ?

 

 

 

胸腺が開いてホクホクすると、

急に眼と道が開けるらしいよ。

 

スーッと道が通った。

レッドカーペットでもいいさ。

 

ここを歩けばいいのね?というのがはっきりする。

うん。レッドカーペットだな。

 

これから、守護と相談しながら、やりたいことをやっていくよ。

ストップかけられているものは、なぜストップなのか

ちゃんと腑に落ちるまで気にしないことにした。

 

やらずに人生終わる方が後悔するだろうから。

(守護がストップかけてるなら逆ってこともあるけれど)

 

 

 

 

 

春分まであともう少し時間があるから、

自分がどこに照準を合わせて調整していくのかだけは

決めておきたいと思ってる。

 

太陽礼拝=太陽に同調する祈りを再開するのか、

スピカに一直線なのか、どっちもなのか、というあたり。

 

神々へのスタンスはだいたい決まってきた。

やはり人間と同じ。神と呼ばれるものに関してはね。

 

私にとって光とは、ただ一つだから

「ただ一つ」にしがみつくなって言ったっけな

 

でも、これはたしかにただ一つなんだ。

自分を生んだ母親が二人といないように、

自分に命を与えた父親が二人といないように。

たとえがイマイチだけど、どうあってもただ一つのものがある。

 

それが、私にとっての光だ。

 

光の向こうの無だ。

 

愛だ。